——建築からアートまで幅広く活動されている郡さんですが、先ずはその中から今年開催されました大阪関西芸術祭/アートフェア2022の会場デザインについてお話をお聞かせください。
今年のアートフェアは大阪駅直結のショッピングモールの吹き抜け空間で大阪国際芸術祭をやるということで私に会場デザインを任されました。アートフェアは皆さんご存知のように、有楽町の東京フォーラムでよくやられますが、真ん中の凄い吹抜けではなく一段下がった部分でやられていて、殆どアートフェアをやってるっていうこと自体が外から見えないものが多いですね。また前回の大阪・中野島での開催時では入場料を払わないと一切入れないし見えないものでした。
しかし今回、場所がらあえて外側からも見えるように、人々がショッピングモールへお食事に来たり買い物に来たついでに外から見えるようにしようと……もちろん美術館でアートを見るって言う事だけでもすごいことなんですけども、自分で好きなアートを買って、自分の家にかけるっていうことにもっと現実味を帯びて欲しい~そういうことで塀を取っ払った形のアートフェアの提案になりました。
ここは吹き抜け空間なので上からも見えるわけですね、ですから上からも見えるし周りを通っている人も見えるし、もちろんお金を払って入れば中に入れる~そう言った外観のデザインになっております。
アートフェアって普通はグリッド状になったところが多く、番号が A の1-2-3とか書いてあって一個一個とにかく回る~皆さんが建築賞やビックサイトとかでご存知のように沢山のブースがあってそれぞれのギャラリーが自分のところの作品を見せるという形式が普通なんですね。今回、十種類ぐらいですかね会場設営のデザインを考え、最終的に採用したのがこの十字の形のブース。普通だったらコの字型に囲われていると思うんですけども~それを各ブースはこの L 形一つ、つまり周囲との色んな関わりから沢山の関係性が生まれ、尚且つ色んな回り方ができる。一つとして平行な壁がないので、何となく見え隠れみたいなことも起きていて、プラス会場の性格上煩く言われたのが常に見通し。つまりあるけどないと言うか、常に周囲のテナントも見通すこともできなきゃいけないと言うリクワイヤメントがあり、 CG で作る前に何度も打ち合わせし、「これでも向こうが見えますよ、他のお店の邪魔になってませんよ~」と言うように角の部分だけをちょっと囲いました。
それでできたのがこちらということになります
L型一つ一つがブースで、各々のギャラリーがご自分の作品を展示してるんですけれども、お互いの間が結構柔らかく干渉しあって、作品を見てる人~作品と関係なくお喋りしている人と結構いい感じにちらばって頂いてました。
上に見えてるこの井桁の形は実は十字型のものがは2.7m ありまして、パネルを2枚合わせてるんですけど厚みが60 mm くらいしかないので、上部の倒れどめを井桁にすることによって2箇所づつ固定できて、尚且つ上から見ると風車が回ってるようになって、アートの力がここ大阪の中心から発信されるようイメージしながら、この頭つなぎをデザインの一部としました。見え隠れするので歩いて行く度に違うものが見える,,,,,,という作品と言うか会場構成になりました。
——ありがとうございました。今回、コロナ禍で行われたイベントということで特に配慮した点や表現したかったことはありましたか。
あまりコロナ禍だからという訳ではなく、今回は目的意識を持って来た人でなくても、たまたま通りがかった人にも「予想しないアートとの出会いを創造的な化学反応を起こすクリエイト場所に変えたい」という思いで結果的に囲わないデザインになりました。 アートフェアと言っても結局はアートという商品を如何にたくさん展示して売るかっていうことなので、少しでも沢山壁が欲しくてもっと密で詰め込みたいと言う会の主催者側の意図があるとは思います。これを敢えてL型にして有機的な色んな隙間があって、そこの中でも自由に話せるけど外との隙間みたいなものも楽しみましょうよってことは、コロナ禍だったから受け入れられ易かったかもしれないとは思います。
アートって美術館の外に出るというのが主流になってきていると言ったらいいでしょうか、例えば昔はメトロポリタンミュージアムみたいにすごい石造りの中にすごいコレクションを貯めてるって言う事から、MOMAの谷口さんがもっと外から見えるようにって言うな形にしたように、段々街に開かれた美術館展の増えてるのと同じようにアートフェアもそうなっていくべきだという~そう言う意味ではかなり画期的かなと思います。
——建築家でありながら色々と純粋なアート活動もされていらっしゃいますが、アートフェアのプロジェクトでは郡さんの中では建築家とアーティストのどちらの比重が大きかったですか。
今回は建築家ですね。もちろん建築家はアーティストなんでどちらということもないのですが、でもやっぱり調整っていうものがすごく多くあって、周囲のあちこちの店から自分のところ影になるなど文句が出たりでこの形も何回変わったかわからない。ただコンセプトとしては偶然の出会いがあり有機的な余白があると言うコンセプトさえできれば、形はどうでも良いとは言いませんけれども様々に変わっていきます。L型がもっとたくさんあるプランからこの十字型になって、それも角度を振っていうことを何度も何度もやり直しているので、
模型も何回も作ってますし、だからそのそういう意味では周りの人達の様々な規制とか要望を活かしながら最後まで自分のやりたいことやこうしたら良いだろうなと思う考えをやり通すという意味では建築家的かなと思います。
——商業施設ののオープンスペースということで、様々な規制や制約もあったとおもいますが~。
はい会場構成はアーティストの方もやられることもあると思うんですけれども、やっぱり自分で言うのもなんですけど、当然この2.7メートルの壁をどう立てれば良いかとか最小限でどう支えられるかとか、実はプライベートなエリアは必ず確保するように壁はないけどドローイングではちゃんと四角いエリアがあって、プラスアルファ人が通れるところは1.5 M 必ず開けるというルールを作ってやってるので まぁ実際問題そうそうですよね建築家でないと出来ない仕事じゃないかと思います。
壁はないけど建築として考えるとファサードとかバードビューとかそういう様々な角度、インテリア空間もあるしエクステリア空間もあるしって言う それは非常に建築的な空間だったなぁと思います。来場者や画廊の人たちがすごく良かったとか言ってくれました。普通だったら窮屈だし密になるから早く帰ろうと思うところが、なんかすごく居心地良くてすごく長くてしまいましたとも言われました。
——では話題を変えて、郡さんのプライベートのお話を伺いたいと思います。
大学を卒業後、建築家としてスタートした後でアメリカ留学されています、何がきっかけだったのでしょうか。
そうですね、時代もあったかと思うんですけれども大学卒業したら1日も早く社会に入って働きたいって気持ちがあったので、その時点で大学院に行く選択肢がありませんでした。ただ自分で一度独立してからアルテックの室伏さんの所に行きまして,でも室伏さんの事務所で働きながらも自分の仕事もしてました。株式会社を作った後に自分の作品も新建築や住宅建築に載せていただいたり賞も頂いたりってした中で、なんかまだ30歳位だったんで、このまま同じレベルで頑張ってもなんか先が見えてる気がして~もうちょっとちゃんと勉強したいなって真剣に思い、どうせ勉強するんであれば、作品や建築の作り方はもうわかったの、もっとコンセプチュアルな部分を学びたいと思い、それならやっぱりコロンビア大学がその時丁度ベルナードチュミがやっていて凄くエクスペリメンタルで実験的な建築とか、建物建てなくても建築であるとか、すごく先進的な教育してるって聞いていたのでそれでコロンビア大学に行きました。
リアルな建築を知った上で、それを超えるもっとコンセプチュアルなものをということで、コロンビアでとったスタジオも、リアルな建築の先生にはつかなくて本当にコンセプチュアルなことをやってる先生の下でしかスタジオをとっていないのです。
——本当の意味で勉強したい時期に行けてうらやましいですね。
そうですね、だから帰国の次の年からコロンビア大学で教えないかと言われて、10年間向こうで教えたんですよ。
——現在、日本でも学生に建築を教えられてますが、日米の建築教育の違いの様なものは感じていますか。
あまり変わらない感じがします。ただ学校にもよるので一般的に全ての大学がというのはなかなか難しいですが、私が今教えている大阪工業大学なんかはまあ結構いい感じですかね(笑)
ただの違うとこといえば何でしょうね~議論にもっと時間を取るかもしれないね。例えばジュリーとか成績評価もあるんですけどもやっぱり議論を通してその中から何が大切なのか!?どうしてこの人が評価されるのかっていうことがよくわかる程、本当にエンドレスにずっと講評やってることが多いですし、ニューヨークは色んな大学の先生達が行きかっているので気楽に違うスタジオを訪ねては、そこで先生同士が議論したりが多かったので、やっぱり議論する時間はちょっと少ない感じがします。
——一方、共同設立のパートナーと事務所をされていますが、建築の仕事は協働?分業?別々?どうされていますか?またアート活動については、私的な活動なのでしょうか、事務所のプロジェクトとして受けているのでしょうか。
例えばですね~「私がこんなことやりたいなぁ」なんて言うと、実際やり方を考えてくれたりてくれたり作ってくれたりはしますね、さっきのグランフロントなんかもスタッフがずっと模型やパーも作りをしてるので事務所の仕事ですね。他のアートの作品も私の作品なんで妥協しないんだけど「私がこんなものしたい」というと実際はその設営とか作り方とか材料とか確保とかは事務所でやってます。だからスタッフはアートやってみたり古民家行ってみたり公共施設やってみたり住宅やってみたり~なんかもう毎日違うことやらされてるんですね。
——次に月並みですが、事務所の名前の由来を教えてください。
元々私が裕美なんで学生時代はその反対のミュウを使っていて、学生時代にやっていた演劇のポスターやチケットを自分で作ったり、旅行代理店のパンフレット作ったりしていたデザイン活動を宙(myu)という名前でやっていました。
学生時代元々は演劇やりたかったんですけどの演劇部全員で吉祥寺にやってきてアトリエを借りてしばらく演劇のアトリエに通いながら昼は設計事務所に行き夜は演劇をやるみたいな日々でした。
——では、ともすると演劇の世界へ行かれた可能性も~
そうですね~でも建築やり始めたら本当に建築って面白いなと思ってだんだん演劇よりも建築の方が面白いなって感じるようになりました。舞台上で何か違うことをするよりの本当にリアルな日常を何かこっそり変える方が面白いなって思いはじめました。
やっぱり日常の中で変わらないと非日常の中で思ってもしょうがないところはあるかなと思って建築の中でやって行こうと思っているんですけど、でも同時にやっぱりアートじゃないとできないことがあるかなと思って、去年もこんな馬鹿なことやったりしてるんですけど。。。。
空室になったオフィスの壁に向かってみんなで願い事を書いて紙飛行機を飛ばしましょう!コロナ禍の閉そく感を破りましょう!みたいなことでガラスを突き抜けた紙飛行機みたいなの作ってみたりとか。。。。最初はコロナ禍で医療従事者のためにやろうって話をしてたんですけどそのうちにウクライナ問題が起こりウクライナの色でインスタレーションを現在もやっていて、その中で言葉をプロジェクションしてて,人と人のふれあいとか絆とかそういう言葉を表す言葉をゆっくりプロジェクションしててこれは今月中やってるんですけど、日本橋の家って安藤忠雄さんが作られたあのいわゆる住宅ですけれど、それでそれでも戦争に対する反対ってことを町にむけて発信できるということで、壁を乗り越えてもう一度ちゃんと会えるといいなぁとメッセージを発信しています。
——これはこのこの家主さんからどんな依頼があったわけですか。
そうですね。光のインスタレーションしてくださいと依頼されて、それはもともと去年の7月ぐらいからインスタレーションやってたんですね、この壁の向こうへという題で。元々はどこでコロナ禍の閉塞感を打ち破るっていうことでそういう「壁の向こうへ」という紙飛行機で壁を貫通するっていうのをやってた時に、たまたまこれを見られた方がそのさっきのオフィスビルの所で全く使ってないオフィスビルがあってなんかインスタレーションしてくれないって何か言ったから 「やわらかい物でも投げれば何かが届くかもしれない」っていう閉塞感を破ることをみんなで行為としてやってもらうといいのかなっていう~つまり体を動かすアクションすることによって気分が変わるしそこにあると思ってたガラスもひょっとしたら溶けるかもしれない。。。。何かそういうのってアートじゃないとできなくて建築だとなかなかできないので行ったり来たりしながらやってます。
——このような依頼がきて仕事になるって凄い事ですね。
まぁ仕事といってもとても食べていけるようなお金はもらってないです(笑)
——空き事務所を使っての活動、そして衰退した街並みに明かりを灯す光のインスタレーション。。。どちらも今、正に社会的題材とも言える空き家問題や街並み復興~そこにアートを持ち込んで活動されているのは素晴らしいですね。
ありがとうございます。 私はずっと古民家の改修や歴史的町並みの保存というのをやっているんですよ、それで2014年に建築学会賞(業績賞)を頂きましたが、結構そっちの方はアートと建築の間みたいな感じです。こんなところでも古い蔵の改修でも向こう側をわざと廃墟っぽくして彼岸花をいっぱい植えて季節によって彼岸花がぱーっと開くとか、元々あった鬼瓦を逆さにして時間を逆さに感じようとか、床の間にあるやつは古いトタン板なんですかもともとあったそこの建物にもともとあった外壁のトタン板が綺麗だったので使ってみようかなとか、結構変な事をやりなが<ら、そこにある美しさを発見してそれを強化していくみたいな、そういう意味ではアート的であり、これはアルカシアのゴールドメダル頂いたんですけど、昔あったものを活かしながら古い井戸に光のインスタレーションしてみたり、そこにある世界元々あったもので埋もれてしまってるものに光を当ててでも同時に歴史的なものを楽しむ空間を作っていくことをずっとやってきてるんで 建築とアートを何とかして私の中では合体していきたいな。
——事務所のホームページを拝見すると、古民家再生をはじめ建築作品も芸術作品もさらっと垣根なく楽しんでいらっしゃるのが感じられますが、今後はどんなことをやっていきたいですか。
ずっと私は「住宅をいかに開いていくか」ということをやっていて、玄関の広い家をよく作りますが、例えば「西宮の家」は何てことない玄関をちょっとだけ広くしてカウンターを設えただけでギャラリーとして営業されています。普通の家なんですけどね芦屋の美術館もすぐ近所にあるから結構みなさん来られていて。。。。このように「玄関を広くする」ということをやっていて どうしたら家が開かれて、どうしたら家の中に人を招きやすくなるとか、それには街と建物の境界がどう嚙み合うかをこれからも実践してやっていこうと思ってます。これまでやってきたことの主張がなかなか伝わってないので、ちゃんとそれをまとめて発信してきたいと思います。
——今後の作品を楽しみにしております。とにかく活動範囲が広くその体力にも感服してしまいます。最後に日常というキーワードで住宅作品をご紹介頂きましたが、今後、住宅以外に何かやってみたい建築は何ですか。
それは美術館をやってみたいです。
演劇場はあんまりないかな~演劇は舞台の上で観るよりもどっちかというと寺山修司さんとか唐十郎さんのような路上演劇とか日常の見え方を変えてくれる方が好きなので あまり劇場の中は興味はなくて。。。。。そうですね美術館やってみたいのと後は病院や高齢者施設をやりたいですね。やはり皆さん年取って最近すごい社会構造が変なことになってると思うんですけど、マイホームのローンが払い終わったと思うと、子供が独立して暫くしたら今度は老人ホームに行くのが普通になりその時にはお金がすごく必要で、人生何のためか分かんない状態になってるから、もっと高齢者と地域とがうまく繋がりながら暮らすことで高齢者の人たちを閉じ込めないような施設にというかシステムというか住宅なのかわかんないんですけどしてみたいなと思って、だからそうですね、地域の人たちがごはんを作ってくれる場所があったり、みんなが行けるようになったり、そういう地域的なこともあるし、単に高級ホテルみたいな老人施設がどんどん増えてきてるけど、たぶんそういうのが欲しいんじゃないと思うんです~そんなことがしたいな。。。またやりたいことは他にもいっぱいあって曲も作って歌も歌いたいなとかありがとうございます。
——郡さんありがとうございました。私も展示系をやってるので非常に面白く聞かしていただけました。苦労もよくわかります、通路幅とかをやかましく言われたりするんでその辺が非常に難しいなと思いながら聞いてましたこおりました。
最初のとっかかりというのはアート的な発想から入られるのか建築的なものから入られるのかそのケースバイケースで変わっていくんですか。
建築的とアート的って違いがあんまりよくわかんないな……ケースバイケースですねやっぱり人間の動き方とか人間の気持ちとか、だから飛行機の話しもなんか閉塞感ある打ち破りたい~何とかできないか!?、じゃあ誰でもできて簡単で安くて何かないかとか、公共施設とかを作りたいんですけど、作る時も例えば形かっこいいやつというよりは、どうやったらたくさんの人が他方向から入りやすいんだろうかとか~どうしたら空を感じてくれるんだろうとか~遠くの景色を見ようとしてくれるにはどんな場所があったらいいんだろうとか~どっちかっていうと人間寄りですよね。それが予算があれば建築っていう形で出来るけど、予算がなかったらちょっとした発想をきっかけになるちっちゃな紙飛行機だったり~ちっちゃな色だったり~光だったり~音だったり~ちょっとしたちっちゃなことでハッとさせられたり、、、見え方が変わったりっていうよなことが出来るんだったらそれがアートっていうことになるんですけど、元は人間の心でしょうか。
——お話を伺っていて、郡さんは色んなことをやられていて、建築とアート、音楽も全て含めて同じ時間軸でされていて大変だなって思うのですが~アートは建築以上にそれなりに時間がかかるときありますよね、睡眠取れているかも心配になります。
結構大変です。そうですね~実はそれで昨日もぶっ倒れてました(笑)
さっきのホープっていうプロジェクションだけでも5、6回実験してます。やっぱり行って実際映してみないとわかんないから、帰って直して~とやってるので実際私のスタッフも連れて何回も行ってますね。その後、動画を撮るのも編集するのも自分だし、でもねだからアートをきっかけにすごい発想も生まれてくるんですよ。ねやっぱり建築家ってそうはいっても実際に光の実験にしてもそこまでやらないでしょ普通は。でも自分で予算もない中でどうしてもやろうと思ってやると~「こんなことが出来るんだとか、こんな安い材料あるとか」何か発見あるんですよ結構。だからアートで発見した素材とか方法を実際建築に入れられるし、やっぱり両方あってちょうどいいかな。
——多岐に渡る活動のお話ありがとうございました。
お体に気を付けて頑張ってください、今後の活動も楽しみにしております。
ありがとうございます。
2022年4月24日 web対談
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