「甦る民家」
−民家から学ぶ− 大角雄三
ー今でこそリノベーションは一般的になりましたが、大角さんをはじめ古民家再生工房の皆さんは、早くから古民家のリノベー
ションに取り組んでこられました。地方においてこのように長きにわたる活動は、あまりみられないものだと思います。大角さ
んは1949年生まれ、いわゆる団塊の世代で75年に日大建築学科を卒業されました。81年にご自身の事務所を立ち上げるま
では?
大学もあまり行ってなかったのですが(笑)何とか卒業しまして、オイルショックで仕事先も少なかったのですが、岡山
に帰って創和設計さんに勤務しました。 その時に神家昭雄さん(http://kamiya-akio.jp/)と一緒でした。その前に松本組
の設計部にも少しいて、楢村徹さん(http://toru-naramura.jp/)と知り合いになって、今で言う「古民家再生工房」の仲間
がつながっていきました。その中でいちばんの年上の矢吹昭良さんがイタリアから帰国されて岡山で事務所を始め、早島
町というところの仕事の模型を手伝っていました。そこから岡山の建築の仲間に入っていった感じですね。
ー学生時代影響を受けた建築家はいらっしゃいますか?
特別にはいないのですが、学生時代、津山文化センターなどを設計された川島甲士さんの事務所で模型作ったりしていまし
た。めったに事務所にこられなくて、あまりお会いしてないのですが事務所はいい雰囲気だったと記憶しています。
ー当時のモダニズム建築の現場も見てこられたわけですね。その後前述のとおり岡山に帰られ、そこで古民家再生というムーブ
メントに参加されるわけですが。
私と神家さんが岡山、倉敷に楢村さんと萩原嘉郎さん、早島町に矢吹さん、佐藤隆さん。このなかでは矢吹さんが私より
一回り年長で、おそらく建築的な才能にも長けていて。早島には矢吹さんのイタリア的な建築が人知れずあるんですよ。
矢吹さんの仕事を中心に古民家再生工房35周年の展覧会を2024年3月から10月にかけて岡山、早島、福山で開催しました。
ーこのムーブメントがなければ、今の大角さんは無かったのではないでしょうか。どのようなところからこの活動が生まれたのでしょうか。
東京の学校を出て帰ってきた私も含め、みんなこの地方で住宅の設計で食べて行こうとしていたわけです。そのときにど
ういうスタイル、コンセプトをもって建築、住宅を作っていくか悩んだり、試行錯誤していたときに6人の仲間が集まり
ました。皆で地域の建築を見学していくなかに古い民家も近くにあったので、それを見逃す手はないし勿体無いという単
純な発想で、それを拠り所にして何か新しい建築がつくれないかと考え深掘りしたのがきっかけだったと思います。
ー事務所を始められたのがバブル経済の真っ只中だったことを考えると、とても新しい考え方だとおもいます。ではこれまでの
お仕事を具体的にご紹介ください。


これが私の事務所であり、住まいもこの近くです。岡山市の西の端で周りは田んぼだらけです。こういう風景がごく自然にあ
って、もう何十年も前から変わっていないところで育っているので、先ほどお話しした通り、ものを作るときにこの地域の記
憶をうまく使ってできないか、建築の手法としては抽象化してもっと違う形にするのが主流かも知れませんが、地方で建築を
つくるというのはそうではないのではと思っていたんです。ですから80、90年代はそこにあるものを調査したり実測したりし
て、たくさんの民家の空間体験していました。
「黒谷の家」古民家再生 壁や箱を古い空間に挿入する
独立後間も無くの仕事です。事務所の近くの古い農家を改修するというお話があったのですが、当時バブルのころで古民家再
生というのは全く相手にされなくて、手法も全くありませんでした。あったとしてもそのまま修繕するのがほとんどでした。
現実的には住む上で困っていることを解消しないといけないわけで、その上で新しい再生を模索することが大事かなと思い、
それを建築的に表現できないかを考えた住宅です。今考えると、この住宅が僕にとっての基礎といいますか、なかなかこれを
越えられないという印象があります。

この住宅は茅葺の母屋、蔵、鶏小屋、納屋などがあって、それを長期に渡り再生しました。再生前はいわゆる田の字プランの座
敷、土間に床を張って使用されていました。その他に牛小屋があって、その棟にも座敷があるというこの地域ではよくある形式
でした。西側にはもう一つ離れ座敷や蔵があります。大きな農家ですが岡山では一般的です。


当時いかに新しい感じの再生ができないか考えていて、新しいものを挿入するとか、新しいもので囲うとか考えていました。赤い
ところが構造的なことも含めた新しく挿入した壁です。壁の北側にお風呂などを箱的に入れています。

母屋の茅葺を鉄板で覆った屋根も改修して、牛小屋部分は木のカーテンウォールで覆っています。当時入れ子構造のようなことも
考えていて、古いものを新しいもので囲う。尚且つこれがL字に配置されて構造的補強になるよう考えています。下階の石垣の部
分は元堆肥置き場でしたが、今はリビングとして使っています。



母屋の内部ですが、白い壁が挿入した壁で構造的補強も兼ねています。北側には山が迫っていますが、それを風景として取り入れ
るのに屋根をトップライトにしています。壁の北側はお風呂をガラスの箱のようにして添わせるように置いています。曲がった梁
や柱は既存のものです。
「廣榮堂藤原店」移築再生
同じく壁を挿入した事例です。きびだんごで有名な店舗なのですが、150周年の店舗をつくりたいとのことで、それなら150年経っ
た農家を移築したらどうかとプレゼンしたら気に入っていただきできたものです。住宅を店舗にしましたので、フレームだけは元
のものを移築、再現して、外側に壁を配置するようにしています。



「信岡家長屋門」文化財修復 情報発信基地としての再生
少し違う話で、文化財の建築なのですが、福山市にある大きなお屋敷がありまして、これの50mある長屋門を改修して、情報発信す
る場をつくるという仕事です。北側の山から見たところですが、正面の長屋門を改修しました。手前右が母屋で、左が蔵です。


長屋門はもともと蔵があったり作業場だったりしたのですが、その後、畳を敷いてアパートとして貸したりしていました。このプロ
ジェクトではギャラリーや、文化講座ができる場に改修しました。これは文化財なので文化庁の指導もあり、窓なども復元していま
す。1階に文化講座や、飲食ができるスペース。また立礼式のお茶室もつくっています。2階はギャラリースペースとしています。

「玄孫」 移築再生 防火地域への移築 物語から設計する
仙台の駅に近いビルの谷間にある居酒屋さんで、古い蔵を移築して新しいお店をつくるもので、元々そこにあった建物を直したよう
な、古くて新しい感じのする店にしました。これは山形県にあった蔵を移築して、新しく屋根を掛け、青森県など東北地方に多い雪
囲いで壁面を覆い、そこをテラス席としました。元々の蔵の意匠を屋根と壁で覆ったという感じです。


「大山の小屋」新築 縁側を活かす 自然と暮らす終のすみか
現在は新築の仕事が多いのですが、新築と再生を分けて考えているわけではありません。再生の手法を新築で使ったり、その逆のやり
方をしたりしています。これは大山の別荘地にある別荘建築です。先ほどの玄孫と同じように二重構造になっていて、中に蔵を入れ込
んで周りをテラスにしています。大山という山間地で、ただ単に断熱性能の高いものにするだけではなく、断熱に代わるものとして中
間領域をまわし、開け閉めすることで空気の流れや寒暖の調整できないか考えました。テラスの外壁面は全面建具になっていて、気候
のいい日などは開けて、冬期は積雪もあって開けるわけには行かないのですが、スリット窓から彩光がとれるようにしています。


僕が民家で一番興味があるのが、構造で丸太などを使った組み方で、これを表すということは美しくなければいけないわけです。美し
く尚且つ力強くなければならないと思いますので、組み方は僕なりに色々考えます。ベースとなるのは、元々あった日本の伝統的な組
み方で多少現代的にアレンジはします。やはり綺麗な構造体というものを目指しています。

おかやま山陽高校80、90周年記念館
再生+新築 丸太による大空間 昔ながらの工法で軽やかにつくる


もともと校長先生が住んでいらした入り母屋の建物を再生し、そことつないだ新築の建築と合わせ80周年の記念館をつくりました。
10年後、西側に90周年の記念館をつくっています。80周年記念館も入れ子構造になっていて、再生部分とは中庭をはさんで長い
回廊で繋がっています。ここでやりたかったことなのですが、和小屋による大空間ができないか考えていて、これが結構大変だったの
ですが、構造家と一緒にやらずに自分で考えてつくっています。


その10年後につくった90周年記念館は、80周年記念館に対して軽快な感じでつくりました。この建築は、丸、三角、四角の建物を通
路で結ぶという単純な構成にしています。それぞれ軽快な小屋組としています。
「廣榮堂 中納言本店」新築 街並み再生 古くて新しい建物で新しい街並みをつくる
立地は岡山の後楽園に近いちょっと廃れた通りで、ここにお店をつくることで人の流れを変えたいという依頼でした。ここではあたか
も以前からずっとここに在ったものに手を加えたような建築をつくりました。3つの異なる棟をつなぐ形態になっていて、それぞれ店舗、喫茶、工場、ラボスペースになっています。店舗の什器を漆喰のかまどの形態でつくったり、友人の彫刻家や、画家にアートワークをお願いしたり、古くて新しい建築が新しい街並みをつくれないか考えました。

ーありがとうございました。大角さんは岡山、倉敷を中心として建築をつくっていらしたわけですが、他地域で作られるときに、共通点はあ
るものの地域差もあるとおもいます。そのあたりどう読み取って変えていらっしゃるのでしょうか?
岡山は(気候的には)いい加減で気を遣わなくていいのですが、仙台などは特に寒さを解消しないといけないですね。その場合やはり
縁側や非居室など中間層をつくったりすることが多いです。寸法もいろいろですがそれなりに機能するよう考えます。そのように平面
的な工夫で考えることが多いです。構造材も岡山は檜、松をつかいますが、東日本だと杉になりますね。個人的には曲がった松など好
きですが、東だと手に入れるのが難しい場合もあります。
ー保存とか再生に取り組んでいらっしゃる中で、忠実に再生するというより、現代のデザインとして咀嚼しながら新しいものに変えていくこ
とを、力を入れず楽しまれていて、楽しく拝聴しました。そういうなかで、以前からあったような建築をここにつくりたいとおっしゃってい
ましたが、例えば移築する古民家などはあらかじめストックされたり、あるいはその時点で街に合うものを探されたりしているのでしょうか?
特別探すわけではないのですが、もちろん街の文脈からなんでもいいわけではないので、こんな建物をここに持ってきたら古くて新し
いものになるかなあとは常に考えています。仙台の「玄孫」では、たまたま工務店の情報があって山形でストックしていた蔵を使いま
した。僕の事務所も工務店さんからの情報で手に入れました。そういったものをストックしていくのは金銭的なリスクもあり難しいと
ころはありますね。仙台では防火地域での建築だったので難しかったのですが、古民家は構造材が太いので、燃えしろ設計で対処でき
たのは良かったですね。
先ほどのお話にあったかもしれませんが、大角さんがなぜ民家を再生に入っていったのか。イタリアで勉強された矢吹さんの話もありましたが、あちらではそのような仕事が日常的に行われていますが、日本ではただ直すだけだったところで、大角さんに何がそうさせたのか改めてお聞きしたいです。
実際にやってみてその当時は新築より面白いと感じていました。基本的に構造体は触らないで、そのなかに何か新しいものを入れると
いうのが新鮮で、イタリアではそういう再生方法がされているわけですが、日本ではやっている人もいなかったし、それを追求してい
けば建築家の仕事として成り立っていけると感じていました。当時の再生では新しい要素を入れる時、既存のものに合わせて色をつけ
るとか、既存に馴染むようにしていましたが、新しい要素を例えば白木のままにするなど、敢えて調和させないことが新しいデザインになるのではないかと考えていました。
ー以前倉敷の街を案内いただいた時に、庭を通りぬけて隣の家にでたり、庭を通して民家と街が相互につながっているイメージを持ったので
すが、大角さんも街と民家とつながりを意識していらっしゃるのでしょうか?
独立してすぐの仕事だとおもいますが、その頃は民家の再生は自分にとってハードルが高くて、たとえば既存の柱や梁をそのまま使う
ことはリスクがあるわけです。新しくしてしまえば簡単なのですが。そんな中で建築的に何ができるかと考えたのですが、敷地も建物
も広かったので、その中を繋ぐ通路を新たにデザインすることで新しい場所が生まれるのではと。現在は多くの観光客がそこを行き交
っていますが、そんな意味でも良かったのではと思っています。
ー古民家の保存というとガチガチに考えていたのですが、古民家を一つの素材として考えるということを伺って、新しい発想ができるかなと
勇気をいただきました。
繰り返しになるますが、岡山では普通の民家がたくさんあるわけですが、それらは特別に文化財的な価値で測るというより、普通に使われているものが100年とか150年経っていて、そういう民家に普通に暮らすことが結構大変だなと思うことがあります。ですから、文
化財的に直すということではなく、暮らしていくための建築的解決を試み、直していければいいと思っています。
ー北海道では、熱環境を捉えるうえで中間領域を考えることが実戦も含めあるのですが、岡山とは少し違うのかもしれませんが、これまで中
間領域的なアプローチを実践されてきて、環境的によかったとか考察したことがあればお聞きしたいです。
先ほど紹介した大山の家はそこそこ効果的で、2階のちょっと上まで雪が積もりますので、その時は閉めて、中間期は開けて使うなど上
手くいったのではないかと思います。それがそのまま北海道では役に立たないかと思いますが。中間領域というのは、断熱的なことだけ
でなくいろいろな意味で広く使えるとおもいます。これまでは上手く利用していただいていると思います。
岡山の建築家が古民家を扱うのがなぜ上手なのか、ずっとよくわからなかったのですが、ご自宅である「門前の家」を拝見した時にわか
った感じがします。あの環境で生まれ育ち、ずっと生活されているからこそだと感じました。また、大角さんをみていると、まるで趣味
を楽しむように建築を楽しんでいらっしゃるように見えます。
こういう田舎に住んでいるから、岡山弁でいういい加減な感じの住宅づくり、あんまり理屈で成り立つのではなく、ほわんとした住宅を
つくろうというのが僕のスタンスなのかなと。楽しいことばかりでなく嫌なこともありますが、基本的にあまり気にしない質なので。楽
しく建築をつくるのがいいなあと思っています。
